戦後初めての国産旅客機はどうなった?

国立科学博物館が羽田空港に保管しているYS11量産初号機は、2020年の秋以降茨城県筑西市のテーマパークにおいて、展示されることが決まりました。
そのため、一時解体し、引っ越し作業が進められています。
今回は、戦後初めての国産旅客機であるYS11量産初号機についてみていくことにしましょう。

初期号は茨城県へ引っ越す

戦後初めての国産旅客機であるYS11量産初号機は現在、国立科学博物館が羽田空港に保管してしています。
しかし、2020年の秋以降には城県筑西市のテーマパークで展示されることが決まっているため、引っ越しをすることになりました。そのままの形で引っ越しをすることはできないので、一時的に解体されます。そして、茨城県のテーマパークでもう一度組み立てられるのです。

YS11量産初号機は、日本の行動成長期を支えた存在なので、その姿をぜひ見たいと思っている人も多いことでしょう。
1956年に運輸省に納入された後、飛行検査機として2万時間以上も飛行しました。役割を終えたのは、1998年です。役割を終えてからは貴重な産業遺産の1つだと考えられ、羽田空港に保管されてきたのです。
動作可能な状態で保存されているとても貴重な機体として知られていましたが、今回の解体によって飛行ができない機体になってしまいます。

2020年は様々な変化が訪れる年ではありますが、これまでの貴重な遺産が減ってしまうのは、仕方ないこととは言え少し寂しいと感じてしまうものです。

YS11はどんな活躍をしたのか?

戦後、GHQによって日本は長い間、航空機の製造が禁止されていました。
しかし、朝鮮戦争をきっかけに三菱重工などの旧航空機メーカーへ米軍機の修理や点検の依頼が入るようになり、サンフランシスコ平和条約で航空機の製造が許可されました。そして、三菱重工や川崎重工、富士重工業などが航空機の研究を始めたのです。
開発や研究に携わった5人は、「5人のサムライ」と呼ばれています。1962年に初めて飛行し、1965年には本格的な運用がスタートしました。

出雲縁結び空港では出雲-大阪便、米子鬼太郎空港では米子-大阪線に使用されていました。
米子鬼太郎空港には、1970年に海上自衛隊に引き渡されて、2018年まで現役で空を飛んでいたYS11が展示されています。

まとめ

戦後初めての国産旅客機であるYS11量産初号機は、2020年の秋に城県筑西市のテーマパークで展示されます。
航空機などに興味がある人にとって、ぜひ足を運んでみたい場所になるでしょう。
初号機以外にも様々な活躍をしてきたYS11の雄姿は、米子鬼太郎空港でも見ることができます。

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